| サッカーの起源 |
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14世紀の英国の詩「ガーヴェイン卿と緑の騎士」によりますと、かのアーサー王の騎士たちが、イングランドへの侵入者を殺し、その頭を切って、け飛ばして遊んだのが最初。これは個人戦で、たくさんの騎士が頭を奪い合います。その遊び兼戦いに勝ったのは、正体不明の緑の騎士。かれは実は、その頭の、元、持ち主で、自分の首がころころとするのを、馬上よりむんずとつかみ、肩の上にもう一度つけなおし、からからと笑って闇の中に消えて行きました、と。 スコットランド人は、例のごとくイングランドの連中の話は嘘ばかりだと非難しています。そのスコットランド人はどういう風にサッカーをしたか。記録によりますと毎年、既婚婦人対未婚女性との間で戦ったのです。既婚婦人は夫をけ飛ばし、未婚婦人は、それをばいらないよとけ飛ばし返したと思いますが、その記録はありません。 いずれにせよ髪の毛を引きずり回す凄惨なものに終わります。エリザベス女王に処刑されたスコットランドのメアリ女王の髪がカツラで、彼女は禿だったのは、たぶんサッカーのやりすぎです。 一方、フランス人は(ロシア人のように)あらゆる発明工夫はフランス人がやったと主張しています。領主様が、ふすまbranあるいは干し草hayのボール遊びを領民にやらせて楽しんだところからだと。領民は年齢層ごとに、教会区ごとに、男女間で、あるいは坊主と信者にわかれて争います。坊主が勝ったか、信者が勝ったか、記録は定かではありませんが。このゲームはラ・スルないしラ・スレットと呼ばれていまし。前者からスリという言葉が生まれ、後者からスロットマシンという言葉が生まれたと、私は思います。いずれにせよ、このゲームは暴力沙汰に発展し、死傷者が続出するのが常でした。 いま、俺たちは洗練されていると嘘をつくフランスに比べ、乱暴だと嘘をつかれているイタリア人のサッカーは、もっと落ち着いたもので、円形劇場で20人ないし40人のプレイヤーが、お祭りの時に玉蹴り。欧州でもっとも優雅で、文化的なものと、評判になったのです。 一方、文化はつる西の果て、イングランドは、一貫して野蛮。一番古い記録ですと、1303年にオクスフォードの学生がサッカー中に殺されています。まあ、いつものことだったんでしょう。おかげで王室は、1314年、1349年、1389年、1401年、1457年・・・とサッカー禁止令を出しますが、法律を守るイギリス人は、昔も今も例外。ましてや、ブレイブハーツのスコッツに至っては。セント・アンドリューズ大学は、学生のフットボールを禁止。やむなく学生はゴルフを始めます(というのは嘘のようです )。 何で暴力沙汰になったか・・・一つの答は、審判がいなかった!にあると思いますね。 アイルランドは信仰あつき国ですから、むろん、坊さまがサッカーをやる。1518年ダブリンの僧正は、サッカーをやった坊主に80ペンスの罰金を科します。今のカネで5万円ぐらいかな。 わが愛する詩人ジョン・ミルトンもサッカーをば勧め、大聖人トマス・アキナスも、うん、体と心にいいんではないかな、と言っているようです。 ブタの膀胱に水を入れて遊ぶ、この神聖なサッカーの歴史を汚したのが、ラグビーなのです。あれを手で握り、抱いて走るとは。しかも抱いたまま、寝転がるとは・・・。 1999-10-25 |
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| 最終更新日 ( 2008/01/14 Monday 23:07:13 JST ) |
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